「深く静かな平安」
「この平安の前では、比較する思いは静まっている」
平安はすでに私たちに与えられている。
どうぞ!って最初から差し出されていたのにそっぽむいて知らん顔してるみたい。
気づいているのか
気づいてないのか。
洗濯物にティッシュが混ざって大変なことになっていた翌日の洗濯。
ティッシュの屑がちっともついてない洋服たちを干せることが
なんと幸せなことか!?
世界中に
神様に
感謝したくなったね。
なんかちょっと苦しまないと
平安は見えないのよ。
見たいと思わないのよ、きっと。
だから苦しむ方法として
他人と比較したりするのよ。
そもそも
完全に一致した前提や条件の他人なんて
この世に存在することはないのに
そんな必要最低条件、お構いなしに
手当たり次第比較するのよ。
苦しみたいから。
苦しんでこその平安を見たいから。
比較って概念の本質は
そんな感じだと思う。
苦しかろうが
苦しくなかろうが
最初から差し出されいる平安を
ただ受け取ればいいのだ。
ティッシュの屑のついていない洗濯物を
ただ喜んで
干せばいいのだ!
A Course In Miracles
Lesson 305
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