先日、久しぶりにヒプノセラピーを受けました。
(ヒプノセラピーとは?⇒※)
ぶっちゃけ
いつの頃からか
自覚しましたけど
ヒプノセラピーを受けるの
超苦手でした。
ヒプノセラピスト
掲げてるくせに
カミングアウトですけど。(いいのか!?)
催眠状態に上手に入らなきゃ!
Relaxしなきゃ!
セラピストの誘導に沿わせなきゃ!
って無意識に「なきゃなきゃ星人」になってまして。
そのせいで
幼い頃の記憶にアクセスする退行療法とか
今生を超えて過去世へイメージを膨らませていく前世療法とか
(詳しく知りたい方はお問合せ下さい!)
やればやるほど
白々しく
茶番劇に感じて。
すっかり苦手意識。
要は
私がセラピストに委ねるということが
超苦手ということに気づきました。
前回の記事にも書きましたが
「私が何とか助けてあげないといけない」という
思い込みのせいで
クライアントでいながら
セラピストの満足いくような
セラピーをご提供しようと
正解を探りながら
クライアントを演じる。
という、なんのこっちゃ?な
ヒプノセラピーをやってきました。
もちろん
無自覚です。
そんなセラピーの後でも
ちゃんとスッキリした感じはあったから。
セラピストの安堵感や満足感を見て
私のクライアント役は成功だったのね!
って確認していたにすぎなかったのかもしれません。
もうそれ、しなくてもいいやって
やっと思えたので
今回のヒプノセラピーのテーマは
「委ねることができるようになりたい!」
としました。
今回のセラピストはTさん。(ABHのマスターヒプノティストの認定を受けられた暁にはちゃんとご紹介しますね!)
Tさんは私のヒプノセラピーを何度か受けてくれているので
私がどんな風にヒプノセラピーをとらえているのか
おそらく一番わかってくれている人かも。
そのおかげか、多分一番Relaxできる相手ではあります。
それでも
最初は緊張感が抜けなかった。
みぞおちの動脈がドクンドクンするねん。。。
それでもどんどん
自分の感覚が感じられるようになっていったのは
Tさんがそのまんまにしていてくれたから。
イメージとか感覚とか
時々
うまく言葉にできないことがある。
私はほんと言葉にするのが苦手で。
言葉にしたとたん違ったものとなり、覚めてしまう。
Tさんがそのまんまにさせてくれていて
言葉を最小限にしてくれていたことで
私はどんどんRelaxしていけた。
ごちゃごちゃしたイメージは消えていき
ただ静かで優しい光に包まれているような感覚が
ずっと続く。
ずっとこのままでいい感じ。
あー心地よい。
けして眠ってはいないと思うけど
ずいぶんと長い時間をかけて
まどろむくらいの心地よさの中に浸っていた時
Tさんのとても温かい手が私の腕に触れた。
そうだ、彼女が私に触れる、このタイミングまでも
私は彼女に委ねていたのだ。
その場にはTさんだけじゃなく私の大切な2人の仲間もいて
私を見まもってくれていた。
なんだ、まるで
幸せな臨終のシーンじゃないか!?
大切な人たちに囲まれて看取られている感じ。
有難くて
有難くて
書いてる今でも涙がこみ上げてくる。
信じあって
委ねあって
分かちあって
溶けあって
こんな風に生きていていいんだな。
そうやって私は生還した。
ヒプノセラピーは万能ではありません。
潜在意識を扱うといっても
そもそも顕在化できる程度のものでしかなく
潜在意識の大きさはそれこそ計り知れず
手におえる代物ではありません。
コントロールしたい気持ちを手放して
全部理解したい欲求を手放して
お手上げです。
そうやって力を抜いていけたことで
改めてヒプノセラピーの楽しさ、自由さ、軽やかさを
感じられたように思います。
私が受け取ったものを
差し出すことはできます。
楽しくて
自由で
軽やかな
ヒプノセラピーを
あなたに。
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