基本的に父はじっとしていられない人で
頑張り屋さん。
そこそこ私もその遺伝子を受け継ぎ
生まれてから
「働かざるもの食うべからず」的な暗示を
かけられ続けていたので
動きはトロいけど
頑張りたがりやさん。
そんな私が誘導して
そんな父が誘導される
そんなヨガクラスは
えてして頑張る方に偏るよね。
父が頑張っちゃうので
あら、じゃ、こんな動きもイケるかな?
なんてさせちゃうからね。
一生懸命の人には
応えてあげたくなっちゃいます。
父はその昔、狩猟を趣味にしていました。
野鳥も
猪も。
今日はその猪の話。
畑を荒らすので
罠をしかけるんだって、一応。
でもその前段階があって
実は。
畑の周りに猪用の餌を数日間置いておく。
簡単に猪は食べまくる。
食べまくって数日。
罠にはかかってはいない。
父達がいよいよ猟にでる。
犬が猪を見つける。
猪、逃げる。
犬、追う。
だが、いとも簡単に勝負はつく。
数日間、苦労せずに餌を得た猪たちは
まるまると太ってしまい
逃げ足も遅くなり
体力もなくなり
長距離を走れない。
罠なんてなくても
あっさりと仕留められてしまう。
犬たちもきっと拍子抜けだろう。
普段なら猪たちは一晩中食料を探して
歩き回り
時には走り回り
野生として生き延びる能力を維持している。
自然なことだ。
人間によって簡単に食事ができるという
不自然な状況が作られたことによって
バランスをくずした猪。
野生の猪すら
楽な方へ
楽な方へ流されていってしまうんぞ!?
?
最後はちょっと教訓めいたオチで話は終わったけど笑
動かさないと動かなくなる。
ヨガをしているとそれはものすごく実感する。
伸びていたところが伸びない。
曲がっていたところが曲がらない。
動かしていたところが動かない。
普通の生活は便利な生活で
身体を動かさなくてよくなったからだ。
簡単に手に入る餌がばらまかれてるみたいだ。
そして、私は当然思う。
身体を動かさないことと連動するように
心も動かしていないのではないか?
心が求めるような簡単な餌は
そこらじゅうにばら撒かれているからだ。
TV、SNS等情報という刺激的な心の餌は次から次へとばら撒かれ続けてる。
心が自然にあらゆる方向へ動かない。
身体で言うところの、可動域が狭い。
偏っている。
そんな感じになっているような気がするのよね。
身体の動かさず
心も動かさず
私たちは何を失っていくのだろう?
猪が命を失ったように。
だとしたら、自然に還るべき?
人間の自然ってなんだろう?
猪と人間の違いといえば
やっぱり「脳」
パスカルは言ったでしょ?
「人間は考える葦である。」
デカルトは言ったでしょ?
「我思う。ゆえに、我あり。」
彼らがなぜそういう結論に達したのかは知らないけど、この言葉達の真理はわかんないけど、
やっぱり、学んで感じて
学んで考え続けることが
大切なことなんじゃないかな〜って
思う訳なのです。
だから
まあ
まず
一緒にヨガからしませんか?
身体を動かすことで
心も動いていきます。
心を動かすことで
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