柔らかな素足で歩く

やっとこさ読みました。
挫けそうになりながら。
言い回し、書き回し?
がね、近代文学みたいなの。
おまけにドイツ語の詩とか、訳ないからね。


それくらい、頑固親父による渾身の臨床心理の指南書でした。

新理論とか新療法とか心理臨床の世界の常識が目まぐるしく変わる昨今。そんなのにホイホイ飛びつく私の頭をガツンとゲンコツ!

な、感じの本でした。


いやはや、痛い。
参りました。


知識とかスキルじゃねえ!

知識とかスキルを「新しい靴」に例える。
新しい靴にどんどん履き替えてないかい?


素足では歩けるのかい?
素足を怖がってんじゃないかい?
って問いかけられるような。


じっと
私の中身を見通すように
見据えるように
問われ続けてる感じで
怖くて
あきらめちゃいけないような気がして
頑張って最後まで読みました。


意味、わかんないところもたくさんあった。
字面だけ追うと。
だけど
行間の
言葉以外のところに
膨大で重要なデータがたくさん隠されてて
それを受け取った気がしてる。


だって、今、スッキリしてるもん。


この
非言語的なコミュニケーションを霜山さんはクライアントさんとのカウンセリングの場でされてたんだなと感じました。


この本読んで同じことが私の中にも起こった。


なんでわかるかって言えば、もちろん今スッキリしてるっていうのもあるけど、
何より
私がこれを経験したことがあるからだ。



ソレは
私がしのごのクライアントさんにまくしたててない時に起こる。
なんなら、ぽやっと聴いてるだけの時に起こる。
意図してない時。


ソレが起こる。


ソレは
何と言えばいいのかわからない。


ただ、ソレはクライアントさんの言葉や表情となってほんの少しだけ表れてくれる。


それがソレ。


私が言葉にした途端
ソレはソレでなくなるかもしれない。

数年前に友達からもらったカナダのお土産。



静かになればなるほど、聴こえるよ。



理論や療法、概念を学べば学ぶほど、それをクライアントさんに押しつけて、語り続けて
クライアントさんの小さな声が聴けなくなる。
例え、聴こえても
自分勝手な分析で料理する。
それはもはやクライアントさんの声とはかけ離れたものとなる。



靴を履いてないと恐いのは
私だ。
素足では痛そうで
どこへ向かって歩いたらいいのか
わからない。

だから、いろいろ
学び続けていたのだ。


そろそろ気づいてもいい頃だ。

学びはクライアントさんのためにだけあったのではなく
私自身のためにあったのだ。

3対7くらいの割合で。

学んでクライアントさんに語っているつもりでも
私に言って聞かせていることの方が多い。
ほとんど、それ、だと言ってもいい。

語りたくなる、私自身に気づいていこう。

そして
これからは学ばない!本も読まない!
研究しない!
ってことではなく。


いろんな考え方、思考、理論、概念を知っておくことは大事かなと思っている。


どれが絶対に正しいなんて言えない世界だ。

クライアントさんの語る心の中の真実を大切にできるように。


柔らかくいるために。

そう、柔らかな素足でいるために。




だからって、絶対、皆さんも靴脱いでね!って
要求してる訳ではございませんで。もちろん。

靴が必要な時は絶対あるのです。

太陽に照らされてあっつあつのアスファルトを歩くとき。
割れたガラスの破片がたくさん落ちてる場所とか。

そんな時にこんな靴いかがでしょう?
ってご提案してるのが、こちら↓
ご自身にぴったりの靴をご自分で作りませんか?

世界が歩きやすくなるかもしれません。

自由に。


ぜひ、ご一緒しましょう。
お気軽にご連絡くださいませね。


**********************



“往ける者よ 往ける者よ
彼岸に往きる者よ 彼岸に全く往ける者よ
さとりよ
幸いあれ”
(「素足の心理療法」霜山徳爾著より)

気づきのワーク*イマココ対話室

本当はわたしがわたしの1番の味方。 絶対に裏切らない味方。 だから大丈夫! ちょっとぽわっと力が抜けるような心と身体のためのワークとヨガをご提供。 人生という冒険の旅に必要なアイテムを手に入れるのは紛れもなくあなたご自身です。 そんなあなたの旅の仲間としてアイテムを手に入れて使えるようになるまでともに歩いて参りましょう。 さあ、出発!

0コメント

  • 1000 / 1000