いい塩梅(あんばい)

50才になった。いくらなんでももう人生の折り返しは過ぎたでしょう。
体はさずがにいろいろボロがでてきました。
もう、そこのところは、認めざるを得ない。
死へと、ゆっくりと近づいていってる。


母が1月に亡くなって以降、母の家をボチボチと、片づけてきた。
4ヶ月余り。正直、とてもしんどかった。

家1棟まるごと処分する。家具や家電、衣類、ボールペンまでひとひとつ分別しなくてはいけない。
処分していいものか?処分するのなら、何ゴミになるのか?燃やすのか?埋め立て?
いや、これ燃えるのか??
迷いながら決めていく作業は、意思力を削りとっていくような作業だった。長時間できるものではない。
きっと、このしんどさは分別の大変さだけが理由ではない。そう感じるようになった。

主を失った家も家財道具も急速に生気を失っていく。

明らかに壊れている訳ではないのに朽ちていくのだ。
家全体が、ひっそりと静かに命を終えていた。
その死の影が、しんどかったのだ。
母が生きていれば、元気だったモノたちも、意味をなくして処分されるものとして、ただあそこにあるだけ。

どんなに華やかに賑やかにキラキラと人生を彩ったものたちもまったく意味をなさなくなるのだ。
今、こうして何らかの意味や意義があると信じて、文字をつらねて、何らかの価値があると信じて生きている私も私の人生も、あっという間に無になるのだ。

まるで宴のあとのような、さびしさ、虚しさ。


そんな、死の影を肌でひしひしと感じつつ作業するのがしんどかったんだなと思いました。

朽ちていくものはとても美しいとは言えない。美しいものはどんだけでも見たい

けど、醜いものはできるだけ見たくない。
醜いものは死と直結するから。
そして、死は私たちの唯一にして最大の恐怖だから。

その死に対する恐怖に向きあうことは、作業そのもの以上に大きな仕事となりました。

母の畑の隅にラスボス的に鎮座している。大きなプラケースがありました。

片づけもいよいよ最終局面。
畑の隅にあるから予想はついてる。
生ゴミなんかを捨てて、腐葉土にして畑に撒いていたのでしょう。


腹をくくって、えいや!とひっくり返す。
最大、最強に醜いものたちが出てくるはずだ。

太陽の光を浴びたその有象無象。

卵の殻が残ってる。あとはよく判別できない。


???


なんか思ってたんと違う。

腐った臭いもしない。

湿気を帯びた土はキラキラと輝いて、小さな虫たちがびっくりしたようにあわててうごめく。


なんだ、あこれは!?
これは、まさに命じゃないか!!

きっと虫や見えない菌たちが分解してくれて、もうちょっとしたらいい感じの土になっていたのかもしれない。

母は毎年そうやって畑に栄養を与え、大根やほうれん草などを作って、私達の命を長らえさせてくれたんだ。


死の影しか存在しないと思っていた母の家の片付けの最後の最後にに強烈な生の耀きがありました。

生から死へと向かっていく直線的な概念として人生を捉えがちだけど

生と死は、いつだって今ここに存在していて、瞬間瞬間、くるくるとその顔を見せる。
どちらか片方にとどまる訳でもない。
無常だから。

生だけ、死だけ、どちらかに注目している時はそのどらかに力があるように見えるけど、本当は、どららにも力がある訳でもない。

お互いが、お互いであるがゆえの存在感であるのなら、お互いが打ち消し合っているものでもあるのだ。

なんにもない。最初から。


ホントは、そんなところなのだろう。

お片付けにかかった4ヶ月間、しんどかったけど、しんどいだけあって、大きな学びになりました。


50歳の私の身体は生と死の半分ずつで、私の心も善と悪の半分ずつで、あら、まあ、なんとなく50%!50つながりのいいあんばいです。
最高のオチじゃないですか?!
母のお庭の見事な紫陽花。





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