ただのおしゃべりとカウンセリングの違うところ

ただ友達とおしゃべりするのと
カウンセラーやセラピストのところへ行って話すのと
どう違うと思いますか?



私自身がずっとよくわかんなくて
なんか
いつもいつもカウンセラーっぽくしてしまい
疲れてしまうこと多かったんですけど



やっとここにきて
現時点での落とし所がわかったような気がするので
書いてみようと思います。




カラーセラピー始めてから10年ほど。
何気に違いをはっきり説明するの、初めてかもしれません。




まず、ただのおしゃべり。


あなたがしゃべる。
私が聞く。
私がしゃべる。
あなたが聞く。


ってヤツですね。
しゃべると聞くの割合は50/50が理想だけど、そうもいかないことも多い。ご存知の通り。まあ、それは置いといて。

私も基本おしゃべりで聞いて欲しいちゃんだから、しゃべります。あんまり聞こう!とか意識しない。自由でいます。


で、たいてい、どわっはっは❗️と笑って終わり。


当然、料金の授受は行われませんね。
では、カウンセリングやセラピーはというと。

ただのおしゃべりの「ただの」がなくなります。


ちょっと癒され、その上で少し楽になるような「気づき」を得るという目的が生まれます。


ということは、その目的に向かってこの時間を過ごすぞ!という意欲とかモチベーションが必要になってきます。


そこで初めて、クライアントとカウンセラーという役割分担をするわけです。


お互いの合意の下に。


同じ方向を向いて歩こうね!ってお約束するのですよ。


その意思表示が
正式な申し込みだったり
カウンセリング料の授受
だったりするわけです。



なのに!
なのに?




私ったら勝手にいろんな人のことをクライアントにに仕立てあげて、勝手にカウンセリングしたつもりになって、勝手に疲れた〜〜〜!ってなってたわ。




それ、はっきり望まれた訳ではないのにね。


はっきり望まれる方はちゃんと申し込んで、料金を払って帰っていかれる。



そうではないのに、ほら!ほら!何か気づいてよ!ってつつくような感じでいたような気がします。




ほんと、恥ずかしいわ(//∇//)



ただ私に会いにきてくれる



それだけだったのにね。




癒しと気づきへの意欲やモチベーションがはっきりしてないと、クライアント役は結構辛いこともあるかもしれません。



カウンセリングの場では、私はひとまず結構長い時間をかけてクライアントさんのお話をお聴きします。なるべく口を挟まない。ひたすら相槌です。2時間とか平気で越えることもしばしば。


するとね。
ふっと空間の力が抜ける瞬間が訪れます。

それを待ちます。

心の余白が生まれた瞬間です。

ちょっとした癒しが起こった瞬間です。


そこでやっと、ひとつふたつ質問してもいいかしら?

って。


お片付けみたい?


これはいるもの?
いらないもの?
どんな時に使うの?
どんな使い方するの?


さまざまにこんがらがった
感情や思考や思い込みを
整理していく感じ。


そしたら
時々、気づきが起こる。
起こったらラッキーね❣️

気づきが起こらなくてももちろんいいの。

なんかちょっと
なんか感じれたら
それでいいの。



カウンセリングをガチンコでする時はこんな感じになります。


ね、こんなカウンセリングを仕掛けられたらたまらんよね⁉️🤣
いや、別にただしゃべりたかっただけなんですけどってなるじゃん。



でも、きっと私はものすごく勘違いしていて、カウンセラーっぽくしていないと皆、私に会いになんかきてくれないんじゃないかって怖がってたなと思いました。


本当はものすごく寂しがり屋さんなの。


一部の方にはバレてるっぽいけどね。




そんなこんなで
私の長年の「ただのおしゃべりとカウンセリングの境界線問題」も解決の糸口が見えましたので、皆様にご報告いたしました。



でもね、意外とカウンセリングの最後の最後には「どわっはっはっは〜〜〜!」って笑って終わること多いのです。これも私の才能ではないかと少し思っている。



さぁ、おしゃべりの時はしゃべりまくるわよ。リミッター解除だからね。
覚悟して会いに来てね❣️







気づきのワーク*イマココ対話室

本当はわたしがわたしの1番の味方。 絶対に裏切らない味方。 だから大丈夫! ちょっとぽわっと力が抜けるような心と身体のためのワークとヨガをご提供。 人生という冒険の旅に必要なアイテムを手に入れるのは紛れもなくあなたご自身です。 そんなあなたの旅の仲間としてアイテムを手に入れて使えるようになるまでともに歩いて参りましょう。 さあ、出発!

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