「ありがとう」って言ってもらいたい。

「ありがとう」って言ってもらいたい。



そんな風に思うのはいけないことでしょうか?



見返りを求めることは本当の愛じゃなくて

無償の愛こそが本当の愛だから・・・?



「ありがとう」が欲しくてすることは不純だから・・・?



そうやって長い事「ありがとう」を求める心を見ないように

ごまかし

ごまかし

なだめすかし

理屈をこねまわし

やってきたように思います。



そうすると

「ありがとう」を言ってくれない状況は

苦痛の場

修行の場

忍耐の場とかとかになります。

なんとなくつまんないし

ヤル気も起きないし

イライラまでしてくる。


でも、やんなきゃいけないからやる。

100倍疲れます。


私、なんのために生きてるんだろ?みたいに漠然と悩む。


じゃ、やらなきゃいーじゃん?!という話になるかと言えばそうでもなくて。


やりたくてやってると思ってたことでも

その罠に陥りがちなのですよ。

「ありがとう」と言われたい罠ね。



例えば、私のとっておきの趣味「アイシングクッキー」作り。


作るの、時間かかるの。

私とか特にきっと要領悪いから。

クッキー焼く日。

アイシング作って、塗る日。

塗ったアイシングに、さらに凝った模様を書く日。

ラッピングする日。

3、4日かかる訳です。


そのクッキーを「当たり前のように」

有難さもなく

観賞もなく

バリバリ食べられると

がっかりする訳です。

もう二度とこんな思いをしてまでつくりたくねえ!と思う。

(結局、また作っちゃうんだけど)

うちの子たちなんて見慣れすぎてて

いつも情け容赦ありません。

私の3日間が秒で消えます(涙)



やりたくてやっている。

その「やりたい」のさらに奥には

「ありがとう」って言われたいから「やりたい」が

往々にしてある訳です。



人って

成長を経て

ある程度自分が満たされたら

人の役に立ちたいっていう欲求があるのです。


それって人が人たる上で

めっちゃ素敵な欲求だと思うの。


「大切な誰かが喜んでくれるから。」

それが

文明が発達した

根っこの根っこにあるのでしょう?


進化や進歩の原動力。


今、私のテーマがセルフコンパッションなので

そもそもコンパッションってなんだろ?

みたいな気持ちで読んだ本があります。


その名も

「Compassion」(コンパッション)

ジョアン・ハリファックス著


著者のジョアンさんは仏教指導者、禅僧でもあり、人類学者でもあります。

ジョアンさんは本書の中で進化論のダーウィンの説に言及しています。

ダーウィンの進化論は主に競争による「適者生存」を一般的に知られていますが

実は他に仮説があって「同情心の強い者がたくさんいる方が自然淘汰をくぐり抜ける力がある」といったもの、彼女が「思いやりによる種の生存」論と名付けたいとしているものです。



いーなーと思ったの。

ダーウィンを読みたいと思ったもん。



だから。

「人の役に立ちたい」の奥にある

「ありがとう」って言ってもらいたいっていう欲求も

もっとちゃんと、堂々と

前面に出していこうじゃないか?!


っていうご提案がしたくて。


「ありがとう」って言われたいって思ってることを

なんとなくごまかしてると

いろいろこじれてるのも感じてて。


近い人ほど「ありがとう」が言えなかったりするでしょ?

親とか?

うちの愛すべきクソおやじとか?

照れてる場合ではない。

うちのクソおやじが母にお茶を入れてもらって「ありがとう」って言っていた記憶が

私にはない。(注:最近はめっちゃ言われる(笑)

だから、うちの旦那が朝からコーヒーを私が取ってあげると、必ず

「ありがとう」って言うのよ。

ここのところそれが妙に気になって。

どう答えたらいいのかわからない。重症。

「ありがとう」に対する感度まで鈍くなってることに気づきました。


「ありがとう」を受け取るのまで苦手に!?

そのくせ、「ありがとう」は言って欲しいとこっそり思っている。

どーよ?!このこじらせ具合。



もっとシンプルに素直に生きたいので

宣言しておきます!


「ありがとう」って言ってもらいたいと思ってます!


きゃー言っちゃった。すっきり。ハズカシ。



次男坊にね

全然大したことない事だけどお願いしたの。

ささいなことなんだけど。

で、ちゃんと「ありがとう!」て言えたの、私。

コントロールの意図もなく、ただ素直に。

そしたらやっぱり次男坊の表情がまんざらでもない。

得意そう。

ハズカシそう。

ほんでちょっと饒舌。

ほんでちょっとヤル気UP。



進歩や成長の種が見えました。


親とか

パートナーとか

先生とか

先輩とか

上司とか

から「ありがとう」なんて言われると

きっと天にも昇る気持ち。


わざとらしく褒める必要はなくて

ただ「ありがとう」って言えば

人としての欲求を満たしていくことができ

さらに進歩していく。

その先にはきっと本当の

無償の愛があるのでしょうね。



「当たり前」の反対は「有難し」って言うでしょう?


今「当たり前」がどれだけ奇跡なのか結構身をもって体験してる。


だとしたら


「有難し」だらけなんだ。。。



実際に誰かに言うとか、言ってもらうとか

ひとまずそこは置いておいて

自分が「ありがとう」って言ってもらいたいって気持ちを

少しでもごまかしたりしてるかも!

って思ったら

自分自身に宣言してみましょう!

こっそり

ひとりで

お風呂のなかとか

トイレのなかとか

「私はありがとうって言ってもらいたい!」


どんな感じがしますか?





もしよろしければ教えてくださいね!



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