今「統合」という言葉がテーマになっています。
ここ数年の心の学びはどちらかと言うと
「浄化」
「開放」
「手放す」
といった言葉で表されるものだったように思います。
不要なもの
ネガティブなものは
捨てて無くしてしまえってやつです。
断捨離とか流行ってたし。
そしてそれは人間関係にまで及んでいる。
それが寂しい。悲しい。
自分にとって不要な人間ってなんだろう?
てか、何様ですか?
てか、その自分って何ですか?
(あ、つい取り乱した)
手放そうったってそう簡単にはいかないんです。
粉々になった発泡スチロール
捨てるのめちゃ大変じゃないですか?
手を振っても振ってもくっついてくるし!
まるでそんな感じ。
見えないエネルギーで繋がってる。
だから、手放すって手を振りまくって捨てることじゃなくて
ただ、
握りしめてたこぶしを開くことなんだろうなと
思い至った訳なのです。
何を握りしめていたのか
見えるから
じっと見ます。
もしかしたら、そのまま風にふかれてとんでいってしまうかもしれないし。
手のひらに乗っかったまんまかもしれないし。
握りしめ、こだわることにエネルギーを使わない。
乗せたまんま。
あるまんま。
いいことばっかり持っていることなんてできない。
いいこととわるいことはひとつだから。
わるいと思うこと
気持ち悪さも
寂しい気持ちも
悲しい気持ちも
ここにあるよねって。
ここにいていいよって。
思いたいなと。
そういう訳で「統合」
奇しくも私は大学の卒論で「ユング心理学における自己実現の過程」というテーマに取り組みまして。
自己実現の過程を進むため、人として成長していくためには、生きていく上で遭遇する出来事や人を通して、自分の中に起こることを「統合」していくのだと、ユングは言っていますの。
今になって、またここに戻って来ちゃいました。
とことん私は切り捨てられたくないので、なんでも受け入れたいし、包み込みたいし、包まれていたい♡
らしいです。
母が亡くなった時、遺品整理していたら出てきた卒論。読んでもあんまり意味わかんないだろうに大事にとっててくれてた。
でも、読み返してみてまたユング心理学と再会したことも必然だったんだと思えた。
かーちゃん、ありがとう!
「ゲド戦記」の第1巻は「影との戦い」
まだ若い魔法使いゲドは自分の自尊心という影と戦うことになります。
わかりやすいくらいのストーリー。
でもそれを統合しないと大賢人という技も人格も備えた最高位の魔法使いにはなれなかった。
単純だし、予想はつくけど何回読んでも痺れる。
ユンギアンにはたまらないシナリオです。
そんなこんなで学生の頃の私との邂逅もありーの
最近出会った「マインドフル・セルフ・コンパッション」という概念ともう一つケン・ウィルバーの提唱する「インテグラル(統合っていう意味らしい)理論」という思想がねー、、、いいのよ。最高なのよ。
もうマニアック全開なのよ。
楽しくて
皆様に言いたくて言いたくて
仕方ないのですが。
今日はこれだけ喋れてちょっとスッキリ。
ぼちぼちシェアしていきますね。
もしご興味おありの方は読んでくださいませ!
今日も最後までお読みいただきありがとうございました♡
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