怒りのパターン

ふとした拍子に
「腹立つ〜」
って口走ってて。

やっぱり慌てたので瞑想してたら
ぶわっと浮かんできたひとつの記憶がある。


むかつく〜ってよく言ってるけど
家族以外の赤の他人に対して
あからさまな怒りの感情はぶつけないようにしてきた、つもり。


けど、7年くらい前に
こんなに人に怒りをぶつけたこと
過去にあっただろうか?と思うくらいの
でっかい怒りを感じ、ぶつけたことがあります。

あれ、衝動なのね、ほんとに。
止められなかった。
止めようとする前に
言っちゃってた。

当時私は幼稚園の保護者会の会長で
子どもたち全員に運動会を頑張ったご褒美にプレゼントを手配してました。
私が出入りの業者さんとやりとりしていたのですが
園児の人数が多かったので
なかなか数が揃わず、スケジュールもめっちゃタイトだったので、苦労してました。

督促や延期等、何度目かの調整の後
その業者さんの社長さんから「この日には用意
できますから、ご自宅にお届けします」と連絡がありました。
「あー、よかった。やっと準備が整う」と思い
約束の日待っていたのですが、来ないのね、社長。
待てど暮らせど。

会社に電話したところ、事務員さんが「社長は展示会(だったか忘れたけど、そんなの)に出かけていて不在です。」

キレた。

事務員さんは悪くないけど、我慢できず。

「社長さんが来られると連絡されたので、こちらは待ってるんですよ!どうすればいいんですか?!」

いや、普通怒るよね?

私の声がやばかったんだと思うのよ。事務員さん慌てふためかれて
「社長にすぐ連絡します!」


ごめんね。あなたは悪くない。

社長からすぐ電話かかってきた。
急用とかで来れなくなったとかなんとか言われた。

いや、おかしいでしょ。それなら連絡いれるでしょ?普通。


一段と声が低くドスの効いた風な声で
「社長さんですよ、それならなんで連絡くれなかったんですか?ただでさえ納期おくれてるんですよ。納期守れないことがそもそも業者として致命的ですよね?」
て。

「すみません。すみません。」
社長、繰り返すばかり。

こりゃ、私の怒りがおさまるのを待って、やり過ごすつもりだわ。

もういやや。

結局、ブツは持ってこれる人がいないからってんでなにかよくわからないままのタクシーの運転手さんに託され、私は代金をその運転手さんに支払う?というやりとりで幕を閉じたのだけど。
これはこれで奇異すぎてもはや喜劇だろか?

って、これ読んでておもしろいやつ?はたして?

急に心配になってきた笑笑



当時はこの出来事は社長がお粗末な人間だったから起きたのだと信じて疑わなかったのだけど

今なら違った風に見ることができる。


私はこの社長にバカにされているように感じたのだ。
この社長にないがしろにされているように感じたのだ。
この社長にとって、とるに足りないちっぽけな人間であると判断されたのだと感じたのだ。


そう、勝手に私が「感じた」ことを「断定した」のだ。


そして、感じているということは
つまり
私が私のことをバカなんじゃないか
ないがしろにされるくらい
とるに足りないちっぽけな人間なのだろうと
どこか心の奥で信じていて

そんなちっぽけな人間であるということを
それはそれは恐れていて
それゆえにお前はダメなやつだと批判しているのだ。

自己批判による恐れは
外の世界に映し出され
社長という姿となって顕現し
その反応として
怒りと攻撃という形をとった。


投影とはこういうことです。

おわかりいただけただろうか?


私の怒りのパターンはこの場合でしかないと思っている。 

怒りを派手に表現しなくとも、イライラしたり、モヤモヤしたりも、たぶんこれ。

外の世界で起きている現象は
自分の内側の世界を何らかの形で
表出させているに過ぎない。

それが少しずつ理解できて
視線の向き方を180度回転させることが
楽しくなれば
世界はもっと優しくなる。

私から発せられたまなざしは
私へと帰っていく。
それは私がずっと欲していたまなざしだ。
そのまなざしは優しいに決まっている。

そして世界はもっと優しくなるに決まっている。


気づきのワーク*イマココ対話室

本当はわたしがわたしの1番の味方。 絶対に裏切らない味方。 だから大丈夫! ちょっとぽわっと力が抜けるような心と身体のためのワークとヨガをご提供。 人生という冒険の旅に必要なアイテムを手に入れるのは紛れもなくあなたご自身です。 そんなあなたの旅の仲間としてアイテムを手に入れて使えるようになるまでともに歩いて参りましょう。 さあ、出発!

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