自分のことをどっちかというと完璧主義と思っている。
完璧主義ってことは完璧であることに一番価値があるって信じてるってことだ。
なので、完璧であろう、完璧であろうとします。
頑張ります。
無理します。
視野が狭くなったり?頑固にもなります。
腰も痛くなります。
なんなら怒りも湧いてきます。
まとめると
完璧主義は非常に疲れるということになります。
書いてるだけで疲れました。
と、いうことで私達カウンセラーとかそんな類の人に言わせれば
「完璧でなくてもいいんだよ~」って
ことになるのです。
そうかそうかと思えば
またある日には
「私達はあるがままですでに完璧な存在なんだから大丈夫!」
なーんて、私達セラピストとかそんな類の人は言ったりします。
・・・・・どっちなん?
どっちもいまいちピンときません。
どっちもなんとなくわかるけど
ピタッとはこない。
そもそも、
そもそも、
これらのセリフを言われちゃうことの根っこにあるのは
「私が完璧ではない。」と信じているから。
むしろいっそのことぶっちゃけちゃえば
「私が不完全な人間だ」と信じているから。
なんですよ。
「私は不完全な人間だ」
↓
「完璧でありたい」
↓
「頑張る!」
↓
「苦しい!」
という流れが生まれる。
「完璧でなくてもいいんだよー」
「完璧だから大丈夫だよー」のいずれも
↓
「完璧でありたい」の部分に対処するための言葉となります。
つまりスタートであるところの
「私は不完全な人間だ」という言葉にのっかってしまっています。
「私は不完全だ」
↓
「完璧でありたい」
となるその間で起っているのは
「不完全ではだめだ」というジャッジが起きていて
それを皮切りに苦しむルートが進んでしまうのです。
不完全であることはネガティブで
ネガティブであることはポジティブに変えなくてはいけない。
そんな風に起るエネルギーを「抵抗」と言います。
要は、ジャッジに対する抵抗がなくなれば苦しみへの
ルートをたどらなくて済むということになるのです。
「私は不完全だ」
↓
「不完全だーねー」
「私は不完全は嫌だ!」
↓
「不完全は嫌だーねー」
思ってることは思いっぱなし。
感じていることは感じっぱなし。
それこそ
「あるがまま」
ってやつなんじゃないですかね?
それを「思ったらいけない」「感じたらいけない」などと
抵抗するから疲れちゃう。
なので
「私は不完全だ!」
ってつぶやいたら妙にすっきりしましてん。
いや、あたりまえやん。。。
めちゃ、シンプルやん。
だいたい
人間なんてもともと不完全やん?
不完全の代名詞が人間やん?
すなわち
「私は人間だ!」
っていうオチ。
もっともそうな説明をやっちゃったけど
それが言いたかったの。
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