父に頼まれごとをして実家に行きました。
たいしたことではないけれど、こまごまとしたことをやってあげました。
すると父が言いました。
「うちの子が一番。よか息子によか娘。」
この歳になって初めて聞きましたけど~そんな言葉!アラフィフの子ども達に向かって言う言葉?!って思って、ちょっと照れて、うまい返しができなかった。
レトルトパウチのスパゲティを作ってあげても。
ほんとはそんなの好きではないくせに
「作ってもらって文句は言いまっせん。」
なんて。
え?!母が生きてたころは、辛いだの、甘いだの、柔らかいだの、固いだの、文句や注文がきりがなかった。母は相当、気を遣って食事の準備をしていた。
それを毎日見ていたので、私は父に食事を作らない。作りたくない。
なのに。
やっぱり、失ってから気づくものは大きいのよね。
なにか、いろいろ、気づいて欲しいと思ってはいたけど
それも最近はあんまり意識しなくなっていたし、あーだこーだ言うのもやめていた。
そんな中で私の及ばないところで勝手に気づきは起っていて。
私の世界に表出した。
まさに私にとっては奇跡的な出来事でした。
原因と結果って私達の浅くて薄い顕在意識で考え及ぶところだけで成り立つものとは思えない。母が亡くなったことで、父は何かに気づくことができた。
一見、納得できるような気がするけど、それだけとは限らない。母には母の人生があった。
父には父の人生がある。それによってそれぞれの気づきがある。父の気づきが私の期待する気づきであるはずもない。
ここに存在するのは、あくまで「私の解釈」だ。
解釈ついでに言えば。
戦うように生きてきた父と耐え忍ぶように生きてきた母と楽しく、ただ穏やかに、安心して笑って過ごしたかったという私の抑圧された願望から
私の学びは始まったわけだけど
ここにきて、ふっとその願望が満たされた気がした。
「よか娘」
それだけを聞きたいがために頑張ってきたからね。聞くことはないだろうと思っていたけどね。期せずして叶ってしまいました。
これからは、父や母のためではなく、私の周りにいてくれている「何かを求めている」みんなと一緒に「何を求めているのか?」「どうやって満たしていくか?」なんてことをワイワイ学んでいきたいなと思います。
ご一緒にどうですか?
慈悲の心で
すべてが
包まれますように
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