つまり、自我意識の成長と言えます。より人格者になっていきます。立派な人。
そして、ウェイキングアップは自我の意識状態がどこに同一化しているかを段階的に見ました。
物質的なモノへの同一化から個を超えたより観念的なものへの広がり。
具体的なものから抽象的な概念へ。
そしてそれは
言葉では表しづらい
よりとらえどころのない
輪郭も境界もない
より包括的で普遍的な意識へとたどり着きます。
敢えて、敢えて表現するなら
「一なる意識」
個から全体性への広がりということから、他者性や対象というものが消えていくので
「非二元の意識状態」と言われたりします。
で、この二つを統合すると
総当たり戦の組み合わせ表みたいになる。
それが、ウィルバーさんたちが作った形です(ウィルバー・コムスの格子と呼ばれています)
つまり。(私なりの表現に書き換えさせてもらってます)
自我の意識の成長具合をこのどこの●ポチのところであるのかを探る。
成長を直線的なものとして捉えない。
全部が全部の例を思い浮かばないけど
例えば
ある人の自我の成長段階は
グローイングアップでは「王様でいたい」の段階で
ウェイキングアップでは「私を見ている私すらいない」という非二元の意識状態でもあり得る。
もはや、神の領域とも言える非二元の意識状態であるにはあるけれども
「王様でいたい」という欲求を無意識に投影した形で世界に関わることになります。
何が起るかと言えば、「王様でいたい」という欲求が無意識であるがゆえに、自分と他者が存在しない意識状態で、「王様」であろうとすることで、暴君になるだろうな。
すっかり、神様気取りの王様で、思いやるべき他者などいないから。なんなら、そんなことしてる自分自身にすら、全く気づいていないから。
ずっと前から不思議なことがあって。
人々を癒したり、救ったりするはずの、スピリチュアルリーダーや教祖様がなぜ、時折、暴力的になるのか?
宗教が絡んだ争いがなぜ起こるのか?
ウィルバーさんのこの理論を知って、一つの答えをもらったような気がしました。
意識状態がどんなに神の領域に近づこうとも、自我意識による解釈からは逃れられない。
どんな言葉を語るか。
どんな行動をするか。
どんな思考をめぐらすか。
どう世界と関わるか。
全て、私達は「私」という自我を通してしか、存在することができない。
仏教がほとんど非二元の意識そのものについて語られないのは、それが理由なのだと思いました。
禅宗の修行では座禅が私達にとってはわかりやすく、最も重んじられていますが、指導者のもとで行う事をお勧めされているのも、「自我肥大」を心配するからです。
肥大させるものではなく、自我は成長させていくもの。
その成長のたまものとして、苦が滅していく。
そういう位置づけだと、今は理解しています。
非二元的な意識状態に関しては、人は太古の昔より馴染み深いものだったとウィルバーさんは述べています。宗教を持つ、持たないにかかわらず、何らかの大きな力に対する信仰心やら畏れやらは、いつのまにか持っていたりします。もちろん、それについてはより成長を促すような瞑想なり行うこともおすすめしてます。
それと同時に、自我の成長に関しても心理学的な観点を活用し、また、あまり触れませんでしたが各種セラピーなどの力を借りながら(これをクリーニングアップと呼んでいます)成長していくことが求められている。
誰に、求められているのか?
そりゃーもう、宇宙の意志でしょ?
私達一人一人の意識をあますところなくひっくるめた宇宙の意志です。
私達は、いやおうなく、進化する。
のですよ。
長々とかかりましたが、その道筋のひとつをご紹介いたしました。
グローイングアップ、ウェイキングアップ、クリーニングアップの他に、進化のもう一つの要素としてウィルバーさんは「ショーイングアップ」ということも言ってますが、これもまた複雑を極めますので、あとは皆様それぞれの学びにお任せします。私からは以上をもちまして、「寺子屋的インテグラル理論」を〆させていただきたいと思います。
このインテグラル理論を参考にして、私が提供している「魔法の呪文研究会」やヨガクラス、カウンセリングを進めているつもりです。わかりづらいけど。
そのおおざっぱなプロセスを知っていてもらえたら、ご自身がどんな道を歩いているのかわかるし、迷ったら、立ち止まって考えることもできるかなとも思いまして。
なにより、私が迷子にならないために。
なにより、私が裸の王様にならないために。
これまで、小難しい話にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
みんなで、宇宙の意志にのっかって、ますます進化していきますよ!
楽しみですね!
ありがとうございます!
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