勝手な読書感想文のコーナー!!
連日のコロナ関連の報道。
度重なる自然災害。
内乱やテロ。
今まで生きてきて
これほど
生と死を見せつけられた日々があったかな?と思ってしまう。
じわじわと感じ続ける恐怖や不安。
右か左か?
0か100か?
微妙な選択をし続けなくてはならない焦り。
だらだらと
一気に逝かない程度に
でも確実に弱っていく毒を
ちょっとずつ飲まされている感じ。
そんなこんなな時に読みました。
「最後の医者は雨上がりの空に君を願う」
作中のある女性のセリフ
「人間、死ぬ気になると楽になるよね。何をやればいいか見えてくる。」
が目に入った時私も一緒に楽になった。
あーもういっかな。
明日死んでも、生きてもどっちでもいいかな。
そう感じた。
生きることと死ぬことは全く同じこと。
死ぬことを否定していては生きることもできない。
生きることだけが絶対的に善である限り死を前にして、生き方そのものに偏りや歪みが生じる。
だから、もっとちゃんと死を感じなくちゃいけないなと思った。
死に対してすごく中途半端な触れ方をしてきていたような気がするから。
だから微妙にバタつくのだ。
死生観については少しくらいは知っている。
そのお陰でいろんな気づきを得た。
同時に
その知識による感覚のせいで中途半端な悟ったつもり感は否めない。
だから、やっぱり微妙にバタつくのだ。
私が知ってる死。
祖父母、母、友達。
そして
道端で干からびてるミミズ、セミ。
昨日パンと叩いた蚊。
お昼に食べたハンバーガーになった牛や豚。
突き詰めていけばそれらの死に違いや重さはないのかもしれません。
そうだとすれば
生と同じくらい死があるのは頷ける。
たまたま今日私は生きちゃってるだけ。
明日の朝、目が覚めないとしたら
今日はどう生きよう。
今日どう生きたかが
明日どう死んだかってことになるのだろうな。
映画「ラストサムライ」のラストのシーンで
明治天皇がネイサンに聞くじゃない?
「勝元がどう死んだか聞かせてくれ」って。
ネイサンは答える。
「どう生きたのかお話しましょう」
生と死は表と裏だったり
生と死はただつながっているメビウスの輪のようだったり
そんな感じで
ぱっかり分けずに
悲観的になりすぎずに
死ぬために生きる
生きるために死ぬ
って時々思い出せたらいいな〜。
母は月曜日の朝、脳内出血で倒れて手術をしたけどそれでも回復は難しく、一度も意識は戻らずその週の土曜日に息を引き取った。あっさりすぎるくらいあっさりと逝った。
母は倒れる数日前に仲良しの友達に「もう私の腹は決まった」と宣言したそうで。宣言の内容は聞いてないそうだけど。
何かは決めたんだと思う。
それがその生き方であり、死に方だったのかもしれない。
結構悲しくて泣いたけど、良い死に方だったのではないかと受け取っています。
本書の中では父との最期の時の過ごし方もテーマになっています。
最近、すっかり歳をとったなと思う父。まるまるとしてた働き盛りのクソ親父の時も知ってるからなおさら。痩せて小さく見える。
本文読みながら、父と重ねて、あークソ親父であればあるほど泣くだろうなーって予測を立てています。
父がこれからどう生きて
私がこれからどう生きて
生きるがどう交差して
そしてどう死んでいくのか。
そうねー
私は優しく生きたいな。
そしたら
優しく死ねるかな。。。。
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