*いつかのまじゅ研レポート*
彼女から「このドラマ見るといつもりえさんのこと思い出してた~」
って言われた。
どこがなのかしら?と見てみました。
号泣。
父や母のことやお悩み相談のこととか、なかなかに私と被るところが多かった。
だから、冒頭の彼女は私を思い出してくれたのかな。
なんか嬉しハズカシ。
ドラマの中のセリフ。
「普通の家族なんてないですよ。皆その普通じゃなさと折り合いをつけてるんじゃないですかね。」とかなんとか。
家の中だけにいたらそれが普通です。
だけどそれがいつも寂しかったり、苦しかったり、違和感だったりする普通。
モヤモヤしてるのが普通。
そしてそのモヤモヤした普通を普通のものとして
私達は学校や職場やといった社会に持ち寄ってきます。
「あなたの普通は私の普通とちょっと違うわね。
ってことは私の普通は普通じゃないのかも。」
モヤモヤの普通を社会であけっぴろげにするのは
ちょっと控えます。
普通じゃないってわかったから。
普通じゃないってわかったから
家の中のモヤモヤはさらにひどくなりますが
どこにも行き場がないので
流れやすい方向へ流れていきます。
溜まりやすい場所へと溜まっていきます。
モヤモヤの折り合いのつけ方です。
そうやって社会は周り
経済は周り
比例するように
闇は深まり
見えない影の世界を作り出したかのようでした。
何年も何十年ももしかしたら何百年も続く影の世界。
なぜでしょう?
普通じゃない普通を否定したのでしょう?
普通って何で
普通じゃないって何で
何がよくて
何が悪くて
って
どうして分けちゃったのでしょう?
目の前の世界が輝けば輝くほど
闇は深く濃くなるのに。
光と影が交わるところで
境界線なんかない
もややーんとした
あやふやな
曖昧な
とことんグレーな場所で
どっちでもいいよって寝っころがってみたらどうだろう?
ぬるま湯みたいな場所で
見えるか
見えないか
わからないようなものを
たーだ眺めて見たらどうだろう?
いうなればニュアンスカラーな世界。
案外、いいかもしれない。
吸ったら
一瞬、止まって
吐く
呼吸のように。
止まるとき。
止まってみる今この瞬間。
どちらでもいいと
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